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自己分析

今更ながら振り返ってみると、三つの理由から僕は処世術として「謙遜」し過ぎる傾向があるということに気づいた。


一つは、初めて会った人が自信満々な語り方をしていると、その人は我が強いと自分は感じるから。

もちろんノットイコールの場合もあるけど、8割方そう感じる。自分はそんな人に思われたくないと思う。


二つは、相手の言ってることが聞こえなかったとき、「いやいや。」って謙遜しながら言うと、なんとなく会話が繋がるから。

完全な誤魔化しです。「え?」って何度も聞き返せない場合に多用する。


三つは、相手の言ってることが理解できたときでも、「いやいやそんなことないですよ。」と謙遜しながら言うと、割と会話が繋がるから。

だから、相手の言葉を噛み砕いて飲み込む間もなく「いやいや。」って発言してしまう。


頭回して回答したら違う答えが出てくるはずやけど、会話のテンポを崩したくないからなのか、「反応」として謙遜ワードが出てしまう。

これはまずい。




なぜまずいのか?


処世術って言葉がそもそも好かんけど、「これきたらこうよね」って日常がパターン化されてしまうと頭回すことが少なくなってしまう。

右から左へ、来た箱をポイポイ流す「作業」は、一旦覚えてしまうと頭使わないから。


仕事し始めて、意識する、自分の考えを練り込むって作業がすごい大切なことなんだと気づいた。

いままで学校で学んだことは、「Aってものが来たらBを出す」「Bってものが来たらCを出す」こんな関数みたいな作業ばかりだった気がする。

いやそうじゃなかったとしても、それで乗り切れた。

そんなもんだったから、今仕事で意識をし続けるという作業がすごい労力だと感じるんだろう。



ただただ謙遜するんじゃなく、すべき場所でできる人が本当に謙遜できる人で、自分みたいなのはただの低い姿勢の人間だというだけなのかもと思ってみたり。

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